「中世ヨーロッパの人々は、ほとんど風呂に入らなかった」
映画や小説の影響もあり、このようなイメージを持つ人は少なくありません。しかし結論からいえば、中世ヨーロッパの人々が一律に入浴しなかった、という説明は正確ではありません。
自宅で湯を沸かして全身浴をするには、燃料、水、容器、人手が必要でした。そのため現代のように毎日シャワーを浴びる生活とは異なります。一方で、家庭では手や顔、体の一部を洗い、都市には料金を払って利用する公衆浴場もありました。
ただし、「中世ヨーロッパ」と呼ばれる時代はおよそ千年に及び、地域も広大です。5世紀ごろの農村と15世紀のパリやクラクフでは、暮らしも入浴環境も同じではありません。
この記事では、記録が比較的多い13〜15世紀の西ヨーロッパと中央ヨーロッパの都市を中心に、中世のお風呂と衛生の実態を見ていきます。
中世ヨーロッパの人々は本当に風呂に入らなかった?
答えは「入った。ただし、頻度も方法も現代とは違った」です。
当時の人々にとっての清潔は、必ずしも毎日の全身浴だけを意味しませんでした。洗面器などで顔や手を洗う、布で体を拭く、髪を整える、衣服やリネンを交換するといった行為も、身だしなみの一部です。
全身を湯につける入浴には、大量の水を運び、薪などの燃料で温める手間がかかりました。水道や給湯設備のない家庭では、入浴そのものよりも「湯を用意すること」が大仕事だったのです。
したがって、次の二つは両立します。
- 現代の都市生活者ほど頻繁に全身浴をしていたわけではない
- 中世の人々が入浴や清潔に無関心だったわけではない
中世の暮らしを考えるときは、現代の浴室を基準に「風呂がない=洗わない」と判断しないことが大切です。
公衆浴場は中世の都市に存在した
自宅で入浴設備を用意しにくい人々にとって、公衆浴場は重要な選択肢でした。
13〜16世紀のパリなど北フランスの都市にあった浴場は、フランス語で étuves(エチューヴ/蒸し風呂・浴場) と呼ばれました。歴史家エレン・ワーツェルの研究によると、こうした都市浴場は個人の身体を洗う場所であるだけでなく、人々が集まり、休息し、交流する場でもありました。
中央ヨーロッパの都市にも、ドイツ語で Badstube(バートシュトゥーベ/浴場・蒸し風呂) と呼ばれる施設がありました。浴槽につかるほか、蒸気で体を温めたり、体を洗ったりする形も見られます。
浴場は単なる「大きな風呂屋」ではありません。地域や時代によっては、次のような役割も担いました。
- 体を洗い、温める
- 友人や仕事仲間と交流する
- 食事や飲み物を楽しむ
- 髪やひげを整える
- 瀉血など、当時の医学に基づく施術を受ける
たとえば後期中世のクラクフには複数の公衆浴場があり、職人の親方が従業員を定期的に入浴させることを求められた例や、貧しい人の入浴費を慈善として負担した例も紹介されています。
ただし、これは「ヨーロッパ中の誰もが同じ頻度で公衆浴場へ通った」という意味ではありません。大都市、地方都市、村落では施設数も利用しやすさも違い、都市の規則や宗教行事、季節、燃料価格によって営業時間や料金も変わりました。
公衆浴場ではどのように入浴していたのか
中世の浴場の設備は一様ではありませんが、木製の浴槽や蒸気を使う部屋が描かれた写本や記録が残っています。
木の桶や浴槽に湯を張る場合、利用者は腰や胸のあたりまで湯につかりました。浴槽の縁に板を渡し、飲食物を置いた姿が描かれることもあります。複数人が同じ空間を利用する浴場もあり、現代の個室浴場より社交場に近い雰囲気を持つ施設もありました。
一方、浴場は健康や治療とも結びついていました。中世の医学では、温浴によって体内の状態を整えられると考えられており、天然温泉や鉱泉は治療の場としても利用されました。12世紀末ごろに成立したとされる『デ・バルネイス・プテオラニス(ポッツォーリの浴場について)』は、南イタリアの温泉と効能を扱った作品です。多数の写本が残っていることからも、温泉療法への関心がうかがえます。
貴族と庶民で入浴事情はどう違った?

身分による最大の違いは、「清潔に関心があったか」ではなく、水・燃料・道具・人手をどれだけ使えたかでした。
貴族や富裕層の場合
富裕な家では、大きな木製の浴槽を室内に運び、使用人が水と温めた湯を何度も運んで入浴を準備できました。浴槽の内側に布を敷いたり、周囲を布で囲って保温や目隠しをしたりする例も知られています。
ただし、城や館に現代のような常設浴室が必ずあったわけではありません。移動式の浴槽を必要な部屋へ持ち込む方式も多く、裕福な人の入浴でさえ準備には手間がかかりました。

貴族の日常生活全体については、当サイトの「貴族だけの秘密!中世ヨーロッパの隠された生活スタイル」もあわせてご覧ください。
庶民の場合
都市の住民は、公衆浴場を利用できました。家庭では桶や洗面器を使って体の一部を洗う方法が現実的だったでしょう。川や泉など自然の水場も利用されましたが、水への近さ、季節、地域の決まりによって条件は異なります。
農村では都市型の公衆浴場へ簡単に通えない場合もありました。そのため「庶民は皆、公衆浴場で頻繁に全身浴をした」とも断定できません。それでも、洗顔、手洗い、部分洗い、衣類の手入れまで含めれば、清潔を保つ行為は日常の中に存在していました。
中世の住宅がどのような空間だったのかを知ると、家庭での入浴の難しさも想像しやすくなります。「時を越えて:中世ヨーロッパの民家とその生活様式」も参考になります。
教会は入浴を禁止していたのか
「キリスト教会が入浴を禁止したため、中世人は風呂に入らなくなった」と説明されることがあります。しかし、これも単純化しすぎです。
教会関係者が問題視したのは、入浴という行為そのものより、男女が裸で同じ空間にいること、浴場が飲酒や性的な行為と結びつくこと、ぜいたくや快楽に傾くことでした。
6世紀に成立した『聖ベネディクトの戒律』第36章は、病人には必要に応じて入浴を認める一方、健康な者、とくに若者には許可を控えめにするよう記しています。これは修道院の禁欲的な生活規則であり、中世ヨーロッパ社会全体への一律の入浴禁止令ではありません。
また、修道院には食事前などに手を洗うための共同洗い場が設けられました。宗教生活の中でも、洗浄そのものが否定されていたわけではないのです。
中世の衛生は現代と同じではない
中世の人々が洗っていたことと、当時の衛生環境が良好だったことは別問題です。
都市人口が増えると、飲み水の確保、排水、家畜のふん、食品廃棄物、ごみの処理が課題になりました。細菌や感染経路に関する近代的な知識はなく、共同浴槽や水場が常に衛生的だったとも限りません。
一方で、当時の都市社会が汚れや悪臭を放置していたと決めつけるのも正確ではありません。水路や井戸を守る規則、ごみを捨てる場所に関する決まり、街路を清掃する命令などが残る都市もあります。人々は現代医学とは異なる理屈であっても、腐敗、悪臭、よどんだ水などを健康上の危険として認識していました。
つまり、中世の衛生事情は次のように整理できます。
- 現代の上下水道や感染症対策は存在しなかった
- 生活環境には深刻な衛生問題があった
- それでも人々は清潔や健康に無関心ではなかった
- 改善策や都市規則は地域ごとに存在した
なぜ「中世の人は風呂に入らなかった」というイメージが広まった?
このイメージには、いくつかの時代や事情が混ざっています。
1.古代ローマとの比較
古代ローマの大規模な公衆浴場と比べれば、西ローマ帝国崩壊後の西ヨーロッパで浴場設備が縮小した地域はありました。しかし、ローマ式の巨大浴場が減ったことと、あらゆる入浴習慣が消えたことは同じではありません。
2.16世紀以降の浴場衰退との混同
西・中部ヨーロッパの多くの都市で公衆浴場が目立って減るのは、主に中世末から16世紀にかけてです。感染症への恐れ、梅毒の流行、浴場に対する道徳的な批判、燃料費、医療観の変化など、複数の要因が指摘されています。
16世紀は中世から近世への移行期です。近世の一部の宮廷で全身浴が避けられた事例を、そのまま中世全体の習慣として語ると、時代が逆転してしまいます。
3.「暗黒時代」という物語
中世は長く、古代と近代の間にある「遅れた時代」として描かれてきました。不潔な街、泥だらけの人々、入浴を嫌う住民という映像は、物語として分かりやすく印象にも残ります。
しかし、分かりやすいイメージと歴史的な実態は同じではありません。中世がいつからいつまでを指すのかについては、「中世ヨーロッパはいつからいつまで?時代の変遷を探る」でも解説しています。
4.現代の入浴習慣を基準にしている
毎日、自宅の浴室で温水を使える生活は、長い歴史の中では新しいものです。全身浴の回数だけを数えれば、中世の人々は現代人より少なかったでしょう。しかし部分洗い、手洗い、洗髪、衣服の交換などを除外すると、当時の清潔習慣を見誤ります。
地域差を忘れてはいけない
中世ヨーロッパのお風呂事情を一つの型にまとめられない最大の理由は、地域差です。
たとえば、北フランスやドイツ語圏の都市浴場、南イタリアの温泉文化、イベリア半島のイスラム支配地域に発達したハンマームでは、施設の形も文化的背景も異なります。東ローマ帝国にあたるビザンツ世界でも、古代末期から続く浴場文化は西ヨーロッパと同じ経路をたどりませんでした。
さらに同じ都市でも、戦争、疫病、燃料不足、自治体の規制によって浴場の数や利用状況は変化します。
そのため、創作の資料として中世のお風呂を取り入れる場合も、まず「何世紀の、どの地域の、都市か農村か」を決めると、設定に説得力が生まれます。
まとめ|中世のお風呂は「なかった」のではなく、形が違った
中世ヨーロッパの人々が、誰も風呂に入らなかったわけではありません。
- 家庭では手洗いや部分洗いが行われていた
- 富裕層は人手と燃料を使い、室内に浴槽を用意できた
- 13〜15世紀の多くの都市には公衆浴場があった
- 浴場は洗浄だけでなく、交流や施術の場でもあった
- 利用環境は時代、地域、都市と農村、経済力によって異なった
- 公衆浴場の衰退が目立つ16世紀以降の事情を、中世全体へ当てはめてはいけない
現代と比べれば不便で、衛生上の問題も数多くありました。それでも「入浴を知らず、清潔を気にしなかった人々」という像は単純すぎます。
中世の生活は、城や騎士だけでできていたのではありません。湯を沸かす薪、水を運ぶ人、浴場を営む職人、そこで交わされる会話まで想像すると、遠い時代の日常が少し身近に見えてきます。
参考資料
- Ellen Wurtzel, “Passionate Encounters, Public Healing: Medieval Urban Bathhouses in Northern France,” French Historical Studies, 2023.
- Carole Rawcliffe, Urban Bodies: Communal Health in Late Medieval English Towns and Cities, Boydell Press, 2013.
- “Scrub-a-Dub in a Medieval Tub,” JSTOR Daily, 2023(クラクフの浴場研究の紹介)。
- “Rule of Saint Benedict, Chapter 36,” Saint John’s Abbey(病人と入浴に関する規定)。
- Georges Vigarello, Concepts of Cleanliness: Changing Attitudes in France since the Middle Ages, Cambridge University Press, 1988(Medical History掲載の書評PDF)。
